CONTENTS

sponsored links

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています


夏の日(諒・冴子/「来訪者」の続き)

「久々に誕生日らしい誕生日だったなあ……」
ぽつりとそう呟くと、隣を歩く冴子が小さく笑う。
「本当に忘れてたの?」
「それどころじゃなかったしね」
諒はそう言いながら右手を顔の前にあげ、開いたり閉じたりを数回繰り返した。

(――もう、平気だ)

みっともなく震えていたその手は、今はもうなんともない。
我ながら単純としか言いようがないけれど。

人通りのない夜の街を、冴子と二人でゆっくりと歩く。
午後九時を回ったばかりなのに、街は真夜中のようにしんと静まり返っていた。
すれ違う人は無く、まるで彼女と二人きりの世界に閉じ込められたかのようだ。
(まさか、ね)
そんな馬鹿げた妄想を吹き飛ばすように、諒はふっと笑った。すると冴子が、「何よ」とこちらを見る。
「いえ、別に」
諒はそう笑顔で誤魔化し、歩くスピードをさらに落とした。
せめてもう少しだけ、この時間が続くように。
――しかし世の中というものは無常である。
今が長く続けばいいと思えば思うほど、時間がすぎるのは早い。
二人はあっという間に目的地である冴子のマンションに辿り着き、諒はエントランスにあるエレベーターのボタンを押した。マンションの入り口ではなく、部屋の前まで送るのはいつものことだ。
「どーぞ、お嬢様」
開いたエレベーターの扉を押さえながら後ろを振り返ると、冴子はほんの少しムッとした顔を向けながらも素直に中に乗り込んだ。
彼女に続いて中に入り五階のボタンを押すと、二人を乗せたエレベーターの扉は静かに閉じる。そうして上昇をはじめる箱の中で、諒はだらしなく壁に寄りかかりながら、前に立つ冴子の背に向かって口を開いた。
「……ね」
「何」
「何かないの?」
「何かって何よ」
「今日誕生日だよ、俺」
「……だから何?」
「だーからー。プレゼントとかプレゼントとかプレゼントとか」
わざととぼけた調子でそう返すと、冴子は眉を寄せながらこちらを振り返った。
「誕生日ならさっき、ちゃんとお祝いしてあげたでしょ」
「あれは皆ででしょー。個人的に何かないの」
「……図々しいわね」
「俺は欲張りだから」
そう言ってにっこり笑ってみせると、冴子は途端に困りきった顔になる。諒は思わず、小さく苦笑した。
(まったく……)
彼女のこういう表情を、たまらなく愛しいと思ってしまうのは少し問題な気がする。
このままではまずいなと思ったちょうどそのとき、エレベーターが五階についた。到着を知らせる音に顔を前に戻した冴子に、諒は後ろからすっと腕を伸ばした。
「だーめ」
彼女の体越しに開閉ボタンを押して扉を閉めると、冴子は「ちょっと!」とこちらを振り仰ぐ。
「何するのよ!」
「まだもらってないもん」
意地が悪いと自分でも思うが、誕生日くらいは許されてもいいんじゃないだろうか。
にっこり笑った諒を、冴子は赤い顔で睨みつけてくる。
(だからそれじゃ逆効果だって)
心の中で呟くと、冴子は小さくため息をつき口を開いた。
「……わかったわよ。何が欲しいの」
「何でもいいの?」
「何でもって……」
冴子はそう呟くと、不意に口をつぐんだ。
そうして完全に困りきった顔でこちらを見つめる。
諒はそんな彼女をじっと見つめ返し、そしてふっと微笑んだ。
「嘘。冗談です。困った冴子さん見れたから、それで十分」
「なっ……何よそれ!」
諒はあははと笑って、エレベーターのボタンを押した。開くドアを押さえながら、再び冴子に向き直る。
「そんじゃ、またね」
そう告げると、冴子は相変わらず困った顔のまま、じっとこちらを見上げた。
そうして動こうとしない彼女を不思議に思って、諒は小さく首をかしげた。
「冴子?」
「……もう……」
冴子はそう呟くと、すっと前に進み出た。
そうしてふいに背伸びをしたかと思うと、諒の頬にそっと触れるだけのキスをする。
それは一瞬の出来事だった。
諒は言葉もなく、離れた彼女をぽかんと見つめた。
見る見るうちに頬を赤らめた冴子は、それを隠すように俯き、諒の横をすり抜けて行ってしまう。諒ははっとして、慌てて彼女に声をかけた。
「あ……ちょっ……!」
エレベーターを降りた冴子は諒の言葉に立ち止まると、くるりとこちらを振り返った。
「これ以上のプレゼントはないから!」
びしっと言い放つ彼女に、返す言葉は出てこない。
思わずその場に固まると、冴子は「じゃあね!」と言ってエレベーターのボタンを押した。諒が何かを言うより早く、扉は閉められてしまう。
そうしてひとりきりになったエレベーターの中で、諒はずるずるとその場にしゃがみこんだ。
「おい……」
どう考えたって、今のはまずいだろう。
諒ははああ、と息を吐き、頭を抱えた。
気のせいだとわかっているのに、彼女の唇が触れた部分がやけに熱く感じる。
どのくらいそこにうずくまってていただろう。
諒はのろのろと立ち上がり、一階のボタンを押した。
エントランスを出て、マンションの外から冴子の部屋を見上げると、煌々と明かりがついていた。
「まったく……」
人の気も知らないで、とんでもないことをしてくれたものだ。
誕生日ばんざい、と喜んでいいのか悪いのか、よくわからない。
そんなことを考えながら、彼女の部屋にくるりと背を向ける。

――それでも、自分はやはり単純で。

ついついにやけてしまいそうになるのを必死に堪えながら、諒はぼんやりと、今日は眠れそうにないなと思った。

スポンサーサイト