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秋桜(諒+忍)


「だからアレは不可抗力だといってるんですがねぇ!」
「それが許されるのにも限度があるよ。…今回生じた損害についてはお前の給料の中から差し引かせてもらう。異論はないね?」
「そんなの…」
あるに決まってるだろう俺は薄給に苦しむ勤労学生なんだっ…と言おうとして、水沢諒は口をつぐんだ。
続く忍の一言に、嘆息する。
「『お前』のミスだよ、諒。」
受話器越しに聞こえる声の持ち主がいかなる表情をしているかを想像し、自然と嫌そうな顔をする。
厳しい言葉を口にしても、その口元には笑みが浮かんでいるのだ、どうせ。
「労働者を敬う気持ちを持たんかい…」
言うだけ無駄だとわかった上での反論は、嫌味なくらい律儀に否定された。
「おかしいな、勤労感謝の日はとうの昔に過ぎたはずだ。…それ以前に、お前が感謝に値する程度の働きをしてくれないことには、僕としてもその意見を尊重できないけれど」
まったく残念なことだね、という言葉と共に付け加えられるわざとらしい溜息に、諒は危険信号を感じる。
これはまちがいなく延々と続く、そう思った。
根拠はないが自信はある。
まちがいなく、この雇用主は――斎伽忍は暇を持て余しているのである。
「そもそもお前の仕事振りは…」
急ピッチで強くなっていく危険信号を忠実に理解して、諒は行動を起こす。
「あああああ、わっかりましたとも!要は真面目に仕事すればいいんでしょ、”コレカラハキヲツケマスヨ シノブサマ”!!それじゃ、また」
忍の言葉を途中で遮って早口でまくしたて、有無を言わさずに電話を切った。
これを冴子が見ていたら異常なほどの剣幕で怒られるんだろうな、と思い、けれども諒は久々に忍を出し抜いたことにちょっとした満足感を持った。



――そして、その10分後。
事件は起こった。



「どわっ!」
1DKの狭い部屋に、声が響き渡る。
わざとではなく、予想もしない状況に対して本心から出た驚愕に対する反応である。
その原因は…。
「 驚かせてしまったかな」
そう言って笑う人物が一名ほど、「今」この部屋にいる。
その人物――まぎれもなく斎伽忍である――は右掌を壁につけていた。
「いきなり湧いてくるなんて卑怯な手段を…」
酸欠状態の魚のように口をパクパクさせながら、諒は忍のいる場所と対角線となる反対側の窓際にジリジリと寄って行った。
「人をゴキブリか何かのように言わないでくれないか。流石の僕も傷ついてしまうね」
ゴキブリの方がまだ存在を常に気配でアピールしているだけましだ、と思いつつ。
「なら人間ビックリ箱めっ!」
「貧困な語彙だ。…僕は保護者として悲しいよ、諒」
「あぁどうせ俺は未熟ですよ」
「よくわかってるじゃないか」
明らかに言質をとられている、形成不利な状態。
これはいじけた言葉を吐いてもさらに底へと突き落とされる気がする。
やってられん、とげんなりしつつ、諒は投げやりな口調で言った。
「で、あんたは何しにきたの」
体よく言いたいことをいわせて追い出そうとしていた諒の言葉に、忍は笑みを浮かべて応えた。
彼の目的を。
「紅葉を見に行かないか。せっかく信州に来ているのだからね、見に行かない手はないだろう?」
きっぱりと言い切って玄関へと向かう忍を見、諒はやれやれ、と溜息をつく。
(まぁいいか、どうせ暇だし)
そして立ち上がり、諒はあることに気がついて再び嫌な顔をした。
「忍、お前土足…」
「ああそうだったかい。」
あっさりと返ってきた言葉に、諒は再び深い溜息をつく。
忍に聞こえるように、わざと。
けれども、投げかけられたのは謝罪の言葉ではなく、
「早くしてくれないか、諒」
という自分を急かす声だった…。





紅葉を見るにはうってつけの場所、という情報をどこからか仕入れてきた忍の言に不本意ながらも従って、二人は並んでゆっくりと向かった。
両端を木に囲まれた並木道をで歩きながら、諒は溜息をつく。
「忍なんていつでも来れるでしょうが、お得意の壁抜けとやらで」
「美しい景色を一人で見てもつまらないだろう」
「じゃあ冴子と行けば…」
「冴子は学校だ。それに…僕はお前とこの景色を愛でたいと思ったのさ」
ちらりと横目で忍を見る。
いつのまにか忍を追い越した身長では、やや彼を見下ろす視線となる。
「ずいぶんと前から、そう考えていた。実現できて嬉しいよ」
ふわりと微笑う仕草に、諒は瞳を瞠る。
それはとても人間らしい、自然な仕草で。
あまりにも自然すぎて、正直驚いた。
「どうした?」
我に返ると、忍の視線と合う。
その問いかけにも、違和感を感じる。
(何についての違和感…)
正直に、応えるべきだろうかと一瞬考え、やめた。
代わりに付け焼刃で他の理由を考える。
「いや…それにしては急な計画だと思ってさ」
いきあたりばったりにしては無理のない理由だと諒は自分で思う。
「思いたった時でないと動きにくいと思ったのもので。それに今日は丁度身体の調子も良くてね。」
身体の調子、そういわれて諒は再び忍を見つめた。
白い肌は相変わらずで、けれども以前感じた”人離れした雰囲気”は幾分和らいでいる。
先ほど感じた違和感とはそれなのか、と思う。
幾ばくかの時間が経過して、再び忍から声が発された。苦笑交じりの声。
「…さっきからお前は僕を見ているね。なにかおかしなところでもあるのかい」
再び視線があう。
「別に、なんでもない。」
そっけなく返事を返して、諒は意識的に視線を正面に移した。
「あとどれくらいで着くの、その場所に。」
「そうだな、あと…15分くらいかな」
その答えに、諒はうげっという顔をする。
かれこれ既に20分程は歩いているはずだ。
「それは…歩きよりもバスや電車を使ったほうが早かったんじゃないか?」
「ああ、最寄の停留所から5分で着くらしいね。」
「…ちょっと、忍さ〜ん?」
「時間を忘れてゆったりと歩くのもたまには大切なことだよ」
「ああそう…」
これで今日何度目の溜息なのか、諒は数えるのをやめることにした。





広い公園の中を少し歩くと、紅葉に包まれた広場に辿りつく。
平日の夕方、ということもあって、他に先客はいなかった。
ひらひらと落ちる紅葉の一つを地面に届く前にタイミングよく手にとり、その華麗な赤を忍はしばし見つめた。
「美しいね」
「…ああ、綺麗だ」
一面に広がる赤とオレンジの世界に、諒は内心感動している。
確かにお奨めスポット、と評される理由がわかる。
忍の趣味であるネット検索で収拾したのであろう情報にしては、まともなものだと素直に感心できた。
手にとっていた紅葉の葉を離し、その落ちていく様を見ながら、忍は言う。
「終焉の美しさ、ということかな」
「終焉?」
心に引っかかったキーワードをオウム返しに応える。
「紅葉とは己の役割を終え冬に向けて葉を落とす前の、僅かな残りの時間を過ごすための形態。それを見て僕達は美しいと感動する、それはものの終わりを感じ取る心が同時に働いているのではないかと思っているよ」
ふわりと風が吹き、いくらかの紅葉の葉が木から離れ地面へとゆるやかに舞いながら落ちていく。
その様を視界に捉えながら、諒は忍の言葉を心に反芻する。
「毎年同じように訪れる終わり、決まりきったものであっても、その美しさは変わらない。美しいと感じる人の心もまた、同じようにね」
「…そうじゃない」
ポツリと諒は呟く。
興味深げに、忍は諒を見遣った。
「まったく同じであることに心を動かすわけじゃない」
「ならば、違いとは何だろうね」
即座に返ってくる言葉に何かを返そうとして、詰まる。
もやもやした心の中の想いを、言葉にすることが難しくて、声が詰まる。
「…人の心の状態とか…」
「不安定なものだね」
返って来る答えを明らかに予測していたのか、忍から返って来る言葉はあまりにも機械的だった。
まるで、その答えに納得していないかのように、とりあえずの一般論を口にしただけ、といった印象を受ける。諒もまた、心に思ったことを上手く言葉に出来ていない自分に苛ついた。
「俺は…」
無意識の内に頭を抱え込み、自分の中の言葉を必死に外に出そうと試みる。
「…人は終わりを想って心を動かすんじゃない、景色に自分を重ねたりはしない、ただそこにあるものが美しいから感動するんだ。その心に、同じも違いもない。綺麗なものを、美しいと感じることに他に理由なんていらない…俺は、そう思う」
感じたものを、感じたままに受け止める。
自分でいいながら、それがいかに奇麗事なのだろうかと笑いそうになる。
…明らかに、自分は心で抱いている本心を隠しているというのに。
諒の答えに、忍はふ、と笑った。
まるで嘲られているかのように、諒は受け止めた。
忍はおそらく、自分の隠した真実を、察している、そう思う。
そしてそれはすぐに、確信へと変わった。
「終わりが怖いのかい」
静かに問い掛ける声。
諒はハッと息を呑む。
あまりに的確すぎて、正しすぎて、言葉が出せない。
肯定も反論もできない。
そのまま言葉を返すことをせず、諒は顔を上げ周りの景色を眺めた。
鮮やかに彩る紅葉は、けれどもどこか物悲しくて、心を締め付ける。
それは青々とした葉のざわめきがもう存在しないことを表しているからかもしれない。
あるいはこれから訪れる、葉の落ちきった寒々しい冬の景色を迎えることへの寂しさなのかもしれない。
どうしようもない感情が、心の中を駆け巡る。
隣の忍を縋るように見つめる。
…と、その時。諒の脳裏にある光景がひらめいた。
それはそう遠くない以前の出来事。
忍の傍にいる自分、そこに彩る色彩。
そう、あれは…目の前の人間に、誓いをたてたあの春の日の光景。
今よりももっと淡くはかない 感を受ける斎伽忍と妹の冴子、そして…乱れ咲くの桜の世界――
とても美しい記憶が、鮮やかに蘇る。
そうか、と気がつく。
確かに目の前に広がる光景を寂しくないと、物悲しくないといえばうそになるだろう。
…けれど。
けれど、と諒は思う。
長い冬の後には暖かな春が訪れる。
春になれば、また葉がつき、花が咲く。
季節は巡る。
終わりでは、ない。
長く続く道の、たった一つの区切りでしかないのだと、そう思った。
「諒、どうした?」
物思いに耽る諒の表情に変化が現れたことを知り、忍は問い掛けた。
「終わり、は、怖い。けれど、それはある一つの終わりであって、全部がなくなってしまうわけじゃない。そしてまた新しいことが始まる、そういうことだけれど…終わらないものだってある。この紅葉の葉の命が終わってまた新しい葉が実るように、その一方で土台となる木がずっと生き続けるように。この世界には、新たに生まれるものと朽ちずに続くものがある。」
自分の見つけた新たな答えを、大切に、慎重に言葉にする。
それは普通の人間には今更、と思うことかもしれない。
けれども自分にとっては紛れもなく画期的な事実で。
言い切ると、口を閉じて相手の返事を待った。
忍はこの意見に対して、どんなことを思うのだろうか。
否定されるのか、肯定するのか、またはどちらでもないのか。
様々に思いをはせながら、ひたすら待つ。
けれども、忍からは何の言葉も返されなかった。
ちょっと待て、と思いつつ視線を横に転じ、諒は正直に驚く。
いつにない光景を目にしてしまった。
あろうことか、斎伽忍が地面に――といっても芝生の上だけれども――腰を下ろしていた。
「どうしたんだい、そんなに驚いた顔をして」
「あまりにも普段見ない姿を目の当たりにした自然な反応のつもりですが」
「少し歩きすぎたようで、疲れたんだよ。…こうして視線を変えて見る景色もまた、素晴らしい」
「あぁそうですか…」
せっかくワタクシが熱弁をふるったというのにアナタはまったくね…とブツブツこぼしながら、諒は忍と同じように腰を下ろした。確かに、先程よりもさらに頭上に広がる紅葉は、また違った顔を見せる。
「ああ本当に、綺麗だね」
満足そうな顔で語られる言葉。
「ああ」
簡潔に応える諒。
「諒、一つ提案があるんだが」
「何?」
振り返ることなく相槌を打つ。
「諒の言うまた新たな美と、変わらない何かの融合したこの景色を見に、また来年も来ようか。そう、来年も、この場所に。」
さらりと言う忍の言葉に、諒は再び驚きの表情を向けた。
(こいつ、ちゃんと聞いてるし…)
「諒はどう思う?」
笑みを浮かべた忍の問いかけに、少し頬を上気させて諒は応えた。
自分でも照れているのだとわかる。
「…いいんじゃないの、来ても。」
照れ隠しのせいか、ぶっきらぼうに答えて諒は視線をずらした。
その一部始終を忍は暖かな眼差しで見、そして再び微笑した。



fin.

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