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HOME(忍+諒)

春というには蒸し暑く、初夏と呼ぶにはまだ早い、五月の終わりだった。
雲ひとつない青空の下、道路脇に植えられた花々からは優しい香りが漂ってくる。
休日だからだろうか、行き交う人々の顔も一様に明るく、うららかな午後に彩りを添えていた。
時間はひどくゆっくりと、穏やかに流れている。
自分もその一部に組み込まれているはずのに、まるで別世界の景色を見せられているようだ。そんなのはもう、今に始まったことではないけれど。
急な坂道を足早に歩きながら、諒はジーンズのポケットに手を突っ込んだ。
そうして指先にあたる小さな丸い玉の感触に、ゆるゆると息を吐く。
(こんなもの)
胸のうちでそう呟きながら、諒はそれをぎゅっと握り締めた。


* * *


今回の仕事は三週間に渡る長期戦だった。
忍のマンションを訪れるのも久々で、だからだろうか、少し緊張しているのが自分でもわかる。
(緊張してるのか? 俺があいつに?)
エレベーターに乗り九階に上がりながら、諒はまっすぐ顔を上げた。
忍を相手に緊張なんて馬鹿らしい。
三週間ぶりだろうが、一時間ぶりだろうが、彼は何も変わらずそこにいるのだ。そんなことはもう、とうにわかりきった事実で。
諒はエレベーターを降り、まっすぐ九〇七号室に進んだ。チャイムはいらない。鍵がかかっていないのも、確認せずともわかっている。
扉を開け、趣味の悪い鏡張りの廊下をまっすぐ進んで居間に向かった。
いつもならすぐに駆け寄ってくる足音がないということは、あのお嬢さんは不在なのだろう。
まだ昼間だというのに、ブラインドのおろされた部屋は薄暗かった。小さな明かりしかついていないせいで、真夜中のようにも感じる。
諒は小さく眉を寄せながら、部屋の奥へ進んだ。
思った通り、いつもの場所に、いつもと変わらない様子で忍はいた。
彼はぽつんと置かれたソファに座り、一人静かに瞼を閉じている。
「……忍?」
居間の入り口で足を止め、諒は小さく呼びかけた。
その声が微かに震えてしまったのは、瞼を伏せた忍の姿からは、まるで「生」というものを感じられなかったせいだ。
ふいに、脳裏に桜の花が舞い踊った。
目の前の光景が、二ヶ月前高尾の別荘で見たものと重なって、どきんと大きく鼓動が跳ねる。諒は慌てて傍に駆け寄り、もう一度「忍!」と名を呼んだ。
返事はない。
けれど微かに呼吸しているのがわかってほっとする。直後そんな自分に嫌気が差して、諒は小さく唇を噛んだ。
ポケットから玉を取り出し、手のひらに乗せる。それはライトに照らされ、緑色に鈍く光った。
「……」
手の中のそれをきつく握り締め、目の前の忍に視線を戻す。
息をしているのを間近に見ても、彼にはまったく生きているという実感がなかった。
これではまるで、出来の良すぎた人形だ。あまりにも綺麗すぎて、気持ち悪い。
諒は小さく唇を噛み、玉を持っているのとは別の手をそっと伸ばした。
陶器のようなまっしろな頬に、指先で触れる。普通の人間よりは幾分低く感じるけれど、そこには確かなぬくもりがあった。
(……生きてる)
諒は微かに目を細めた。
指先からゆっくりと、手のひらを宛てがうようにして、短く息を吐く。

(こいつは、まだ生きてる)

自分に言い聞かせるように胸のうちで呟いたそのとき、見つめる先の忍の睫が微かに震えた。
びくりとして手を引っ込めると、視線の先で薄い瞼がゆっくりと開かれる。諒は息を殺し、その様子をじっと見つめた。
忍はまったく驚く様子もなく、諒の姿を捉えると小さく笑む。そしてその形のいい唇を動かし、「諒」と名前を呼んだ。
「……っ」
なぜかはわからない。
けれどそれだけのことに胸が詰まり、諒は思わず、玉を握り締めた手に力を込めた。
何も言えずその場に突っ立っていると、忍は静かにソファを立つ。そしてひどく優雅な動作で、諒の隣に並び立った。
初めて会ったとき、自分より高いところにあった彼の目線は、今ではもう下にある。この三週間で自分の身長がさらに伸びたことを、諒はそのとき初めて知った。時間はゆっくりと、けれど確かに流れているのだ。
「最初の話より遅かったな」
ふいに口を開いた忍に、諒ははっとして我に返った。
そういえば今回の任務についた当初、自分は「こんな仕事、二週間で片付けてみせる」と豪語していたのだった。
ほんの数件仕事をこなしただけで頭に乗っていた自分を自覚し、諒は瞬く間に赤くなった。
「すみませんねえ、まだまだ未熟者なもので!」
「僕の予想よりは早かったよ」
忍は小さく微笑みを浮かべて、随分と失礼なことを口にする。
諒はむっとして、目の前の雇用主を睨み付けた。
「ちなみにその予想とやらはいつだったんです?」
「そうだな。あと二週間は戻らないと思っていた」
「あのねえ! いくらなんでも、そこまで役立たずじゃ――」
「これでも褒めているんだよ。お前も随分、上手にお使いができるようになったじゃないか」
「俺はお前の犬じゃない!」
かっとなって声をあげると、忍は微笑んだままそっと手のひらを差し出す。諒は眉を顰めたまま、握り締めていた玉を素直に彼の手に置いた。
忍はそれを受け取ると、どこかおかしそうにふっと笑う。
その反応が解せなくて、諒な「なに」と眉を吊り上げた。
「これじゃまるで、お手をする犬のようだと思ってね」
「はあっ!?」
反論しようとしたが、忍の言う通りにも思えて、諒はふいと顔を背けた。
ここで言い返したところで、どうせ彼には勝てないのだ。
(今のところは、だけど)
そう胸のうちで負け惜しみを呟いていると、再びソファに腰を下ろした忍が口を開いた。
「ちょうどお茶の時間だな。今日はアールグレイにしようか」
「……俺に淹れろと?」
「お使いのご褒美に僕が淹れてあげようか?」
冗談なのか本気なのか判別しにくい忍の言葉に、諒はうっと眉を顰めた。
「結構です! 喜んで淹れさせていただきます!」
言いながらくるりと踵を返すと、背中から「諒」と声が飛んでくる。諒はぴたりと足を止め、顔だけそちらを振り返った。
「他にも何かご注文ですか?」
「言い忘れていたことがあった」
「言い忘れ?」
まだからかい足りないのかと眉間の皺を深めた諒に、忍はふわりと微笑んだ。
その笑顔にどきりとして目を瞠ると、彼はこちらを見つめたまま言葉を続ける。
「おかえり」
思いもよらないその言葉に、諒はその場に固まった。
そんなの、言うタイミングがおかしいだろう。
そう思ったけれど、口にすることはできない。
胸がかっと熱くなるのがわかって、諒は慌てて顔を前に戻した。
忍はそれ以上何も言わなかった。諒は彼に背を向けたまま、小さく息を吐く。
(そんな言葉、いらない)
帰る場所なんてほしくない。なくていい。
自分にはもう、居場所を作ることは許されないのだから。
諒は何も答えぬまま、奥のキッチンに向かった。
ずきずきと痛む胸は、けれどその一方でじわりと熱を生んでいる。
甘やかさないでくれと思いながら、甘えたいと思う自分がいるのだ。
許されていいはずがないと、わかっているのに。
「……」
やかんを火にかけ、揺れる青い炎をじっと見つめる。
さっきの忍の言葉が、どうしても耳から離れない。
――どうしても。
諒は微かに瞼を伏せ、彼に届いてしまわないよう、「ただいま」と唇の先で小さく呟いた。


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