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春到来(道者)


暦が弥生へと移り、日を重ねる。
昨日までの寒さが嘘であるかのように、穏やかな風が春を知らせる暖かみを肌に感じる。
庭の木々に咲く梅の花の香りが一層、心を和やかにさせる。
けれども今、鎌倉のとある屋敷の中では、和やかさとは反対の感情を持つ者の口から愚痴にも似た言葉が発された。
「まったくもって時代錯誤だな!」
毒づく声は、明石川耕宇から漏れた言葉である。
「花見の席の設置だと?暇人の道楽のお膳立てをなぜ俺たちがやらねばならんのだ!」
そう言いながらも力仕事において人一倍の働きを見せていた同僚に、不破武人は思わず苦笑した。
ギリギリと歯を鳴らしながら、なぜ笑うと責める視線を向ける明石川の態度に、さらなる可笑しさがこみ上げる。
すまないと謝罪しながら片手を軽く挙げ、不破は口を開く。
「それは、俺たちくらいしか道楽の為に割く人材がないということなのではないか?」
昨今はどこも不景気だからな、と言葉を続ける不破に、明石川はその顔に渋面を浮かべた。
不破はかまわずに言葉を続ける。
「それに…それなりに信じてはもらえているようだ。少なくとも、『振舞う酒に毒を盛る』度胸はないと」
そこへ彼らの傍で何やら思案にくれていた同僚の少年――遠野一真が問い掛けた。
「…それは邪推のし過ぎというものではありませんか、兄者」
「それに全然誉められていない気がするぞ。気のせいではないのだろうが」
「そうかな。」
同輩と後輩からのコメントにあっさりと応える不破に、明石川は苦虫を噛み潰したような顔でぼそりと言う。
「お前の発想は夢見が悪すぎていけない。」
「それはいつも思っている」
「慎重、ということなのでしょうね」
フォローを入れたつもりなのだろう一真の言葉は、不破自身によってやんわりと否定された。
「自分では、臆病だと思っているが?一真のように、若さにまかせて突っ走ることも出来なければ、従順に従いきるには不満がある」
言葉の一部にピクリと眉を動かす一真の仕草を、不破は目ざとく見つけて唇に笑みを浮かべた。
「すみません」
すっと視線を不破からそらして謝罪する一真に、不破は苦笑した。
明石川は非難の目をチラリと不破に向けた。
今の状況ではあまりにも一真が可哀想だ、と思う。
「…俺は誉めているつもりだったんだけどな、気分を害させてしまったか。」
「…いえ」
それきり言葉を発するものはなく、沈黙が訪れる。
どうしたものか、と考えあぐねる明石川に、不破がどうした?と尋ねる。
(元凶が何をいうか…)
そう答えたい気がやまやまだったが、他に突破口を見つけ、別のことを口にした。
「まるで自分を年寄りのように言うな。同い年の俺が泣きたくなる」
一真の行動を「若い」と評した彼の言葉に対する反論であったが、相手のほうがさらに上手だった。
「…泣いてもいいぞ。肩くらいでよければいつでも貸せる」
「……」
相手は上手だった。
(違う、これは天然なのか?…そうにちがいない)
絶句した明石川は、心中で疑問を抱き即座に確信へと変えた。
「けれど…伽羅王も冴子殿も不在のこの状態で花見とは…なんと呑気なお歴々であるのか、と言わざるを得ませんね。」
このままではおかしな雰囲気が漂いつづける、という状況を彼なりに察知したのか、一真が話題を切り替える。「酒の肴が愚痴合戦とでも思えば、安上がりといえるのではないかと思うよ」
「気分的には重苦しいけどな」
後輩が提供してくれた話題に上手く便乗しようと―そして先ほどの不毛な会話をなかったことにしようと―すかさず合の手を入れた。
「明石川には向かないだろう。」
だろう、という推論めいた言葉とは裏腹に声に浮かぶ確信の言葉に、明石川も即座に断定する。
「お前にも向かないさ」
即答される言葉に不破は意外そうな顔を向ける。
まじまじと見つめられて明石川はバツの悪そうな表情をした。
「…なんだ?何かおかしなことでも言ったか」
無骨な友人の、思いやりを感じて思わず微笑が浮かんだ。
「…いや。出来れば避けて通りたいものではあるな。」
応える途端、ふと気配を感じた。
視線を移した先には、怒りの全てをその足取りで表現するかのようにこちらに向かってくる男が一人。
「咸月殿」
相手が何かを言うよりも早く、一真が声をかけた。
道者筆頭―つまりは彼ら3人の同僚でありリーダーである―咸月陣、その人に。
大股で歩み寄る咸月の眉間に深い皺が酔っているのを全員が確認した。
彼にとって不快な出来事が起こり、これから暴露されるのだと各々が受け止める。
「…何事か」
慎重に、不破は問い掛けた。
それに呼応して、雷のように激しい怒りが向かってくる。
「ふざけるな、だと?ふざけているのはそちらのほうだろうが!」
「なにか揉め事でも?」
落ち着いた声で再び問い掛けると、咸月はネクタイを緩めながら大きく溜息をついた。
あまりに怒りすぎて暑さを感じているらしい。
自家発電による暖房効果か…便利だな、と不破は思いつつも心に推し留めた。
「料理の手配に何か滞りがあるらしくてな、それを咎められた。…そんなものを私に言ってどうするんだ?そこらへんの女中にでも言いつければいいだろうが!馬鹿馬鹿しい!!」
何か言葉を挟むべきかとも思ったが、咸月はまくし立てつづける。
「大体今時分、のどかに花見なぞする奴らの気が知れん!金と時間の浪費の割には得るものが皆無。これを無駄といわずしてなんと言おうか?それすらに気づかないおめでたい連中ばかりだとはますますめでたいことだな!」
「…咸月、まずは落ち着け」
先ほどまで同じような愚痴を叩いていた明石川が、あまりの剣幕に圧倒されつつも宥めに入る。
一真は何を考えているのか計らせない表情で、ことの顛末を見守っている。
明石川の努力は、けれども咸月の「これが落ち着いていられるか!」という一蹴によって打尽された。
咸月という男は必ずしも寛大であるとはいいがたいが、つまらぬことの一つや二つで怒りを爆発させる程許容量が狭い人間ではない、と理解もしている。
(これは…溜まったな、数え切れないほどの怒りが)
咸月にとっての後輩3人は、それぞれの言葉でそれぞれ同じように受け止める。
そして不破の胸にはさらにもう一つの言葉が浮かんだ。
まったくの偶然で浮かんだものではあったが、なるほど、と自ら納得し満足する。
「まぁ、たしかにめでたいことではある」
不破はぽつりと言った。
そして胸に浮かんだ一言を、付け加える。
「春だからな」
普段理論的な言葉を連ねる不破の口からこぼれたこの言葉に、他の3人は唖然、溜息、沈黙、という返事を彼に向けた。
(何よりもお前の頭が春なんだ、それに気づけ…)
これは明石川の心の訴えであるが、咸月陣と遠野一真の胸のうちにも、少なからずこの感情がよぎった…のかもしれない。






そんな思惑を知ってか知らずか、春を祝う花見の宴は、まもなく開かれる―――。






Fin.

key word(諒冴)



鞄の中には、ノートと教科書と筆記用具と。
それから今日は、大切なチョコレートが一つ、大事にしまわれている。
…今日はバレンタイン・デー。
女の子に、いつもより少しだけ多くの勇気が試される日。
(…初めてのことじゃないのに)

『彼』に渡すのはこれで3度目になる。

去年の―2度目の―バレンタインは二人共通の仕事の最中で、何かのついでに義理チョコと言って渡してしまった。

そして、一昨年。初めて渡した時。私は鎌倉の屋敷から外に出ることを許されてまだ一年にも満たない、世間のことを十分には知らない無知な人間で。そして「彼」は、その身に深く刻まれた夏の傷痕を、いまだ癒えさせることの出来ないまま日々暮らしていた。虚ろな瞳と殺意を露わにした眼差しを交互に浮かべていた、当初の状態よりは数段ましになっていたけれど、それでもまだ「世間」に順応するには程遠く。



あの時私たちは15歳。
諒と出会って、まだ半年だった――――――。



「ねえ、諒」
2月初頭の今日、七瀬冴子は渋谷の街を駅に向かって歩いている。
彼女のすぐ前には、ひょろひょろとした体格の長身の少年が一人。
向かう先は同じ。なぜならば、彼は自分の買物につきあっているからだ。
問い掛ける言葉に対する返事は、返ってこない。
「ねえ、ったら」
再び沈黙。
既に慣れきっている反応ではあるが、いい気持ちはしない。
冴子はツカツカと歩速を早め、前を行く諒の正面に立ちはだかった。
そして、諒の足をその身で止め、キッと相手を睨みつける。
「ちょっと!聞いてるんでしょう?返事くらいしなさいよ!」
「……何」
一切のムダを省いた、ひどく小さな声。
うっかりしていると聞き逃してしまいそうになるほどの。
「聞きたいことがあるのよ!」
「…だから、何?」
声を張り上げる冴子とは明らかに対照的な諒の対応に、少なからず苛立ちを感じながらも、冴子は声のトーンを下げた。こちらは相手に聞く立場なのだから、相手に合わせるのは当然のことかもしれない、と思った。
「…バレンタイン、って何なの?」
「……」
暫くの空白。
何よ、この間は?と重ねて聞きかけた時、諒は口をぽかんとあけた。
「は?」
「さっきからずっと気になってたのよ。渋谷の街中、ハートマークと『バレンタイン』って言葉で埋め尽くされてるみたい。」
そう言われて諒は周囲を見渡してみる。つい今まで外のものになど注意を向けていなかったから気がつかなかったが、確かに、ビルや電柱などいたるところがバレンタインの宣伝ポスターやネオンで彩られている。
…が、しかし。
「知らないわけ?バレンタインを?」
心底疑問に思って聞いた言葉は、冴子の真顔と共に返された。
「そうよ。だから聞いてるのよ」
諒はつい、怪訝な表情で冴子を見てしまう。
「…不自然だ」
信じられない、といった風情の一言と共に、諒は正面に立ちはだかる冴子の脇をすり抜けて、歩き始める。
「何がよ!知らなかったら何か不都合があるものなの?」
振り返り諒の後を追いながら、冴子はなおも食い下がった。
そして二言目の切り捨て言葉を発する諒。
「…時代錯誤?」
この言葉に、冴子はかなりカチンときた。自分がもしかしたら一番気にしているかもしれないこと――閉鎖されたあの屋敷で育ってきた冴子には、まだこの外の世界の理が、理解できないという――をさらりと言われてしまったためである。静かな怒りを含む低い声で、背中越しに一言。
「あなたかなり失礼な発言飛ばしてるわね…」
そして背中に垂れさせてある諒のマフラーの端を、グイ、と引っ張る。
渾身の力で、思いっきり。
「…うわっ…!」
冴子の聞く限り今日一番の大きな声。
バランスを崩した諒は後ろに倒れかかり、けれどもなんとか持ち前の反射神経で足を一歩後ろに出すことに成功した。
「何すんだお前!」
くるりと振り返り、冴子を睨みつける。
「地雷を踏んだ罰よ。…すっごくむかついてるんだもの、私」
諒の視線に正面から挑むように、冴子もまたキッと視線をあわせる。向かい合ってにらみ合う男女に、周囲を歩く人々はものめずらしそうに見ながら通り過ぎていく。けれども周囲の視線は冴子には関心がない。そして、この勝負に自分の負けることが決してないとも、彼女は確信していた。
「…バカらしい…」
ふっと視線を反らし、諒はぼそりと呟く。こうして視線を合わせた場合、彼はいつも自分から先に冴子から視線をそらす。
そう、『いつも』。
「諒の負けね」
厳しい視線を向けたまま、冴子は問い掛けた。
何が負けだよ…と、諒は絶対に言わない。それは彼自身が、負けたと思っているから。
「勝手にしろよ」
逃げ口上だと一番思うのはおそらく本人だろうとわかっているから、冴子はその先をいう事はない。それが諒と喧嘩をするときの、ルールだと思っている。
(まったく、やりづらいわね!)
内心で毒づきながらも、冴子は別のことを言った。
「で、バレンタインって?言っとくけど、私は冗談で聞いてるわけじゃないから。わからないから、聞いてるの。本気よ。」
歩き始めた冴子の右隣を歩きながら、諒はむっつりとした口調ではあるが、それでも冴子の問いに対して口を開いた。
「バレンタインっていうのは、『女から男にチョコ渡して告白する日』。」
「告白?って何の?」
「お前…やっぱりふざけてる?」
「真剣よ。」
「知らないなんておかしすぎる」
きっぱりと即答する諒に冴子は内心ムッとした。けれどもいちいち反応していては話が進まない、と自分に言い聞かせ、非難ではなく疑問を口にする。
「告白っていうのは、人に何かを伝える、ってことでしょう?何を伝えるのよ、チョコ渡しながら?」
「・・・・・・」
「お菓子渡しながらものを伝えるって、子供をあやす母親みたいね」
「・・・・・・」
「ねえちょっと、何黙ってるの?」
「・・・・・・」
一向に帰ってこない返事に痺れを切らして、冴子は隣を歩く諒を見上げた。
僅かだが、眉間に縦筋が浮かんでいる。
不機嫌であるというよりは、返答に困るというような表情が浮かんでいた。
「私、何か間違ってる?告白ってものすごく大切なことをいうものなの?」
はぁ、と諒は大きく溜息を一つついた。
「…チョコレートを渡すのは、ついでのことで。女が男に「大切な気持ちを伝える」のが、本来。…本当に通じない、それで?」
冷ややかな目を向けられて、冴子はドキリとする。
「大切な、事?」
「人によると思うけど。…少なくとも俺には、ふざけたイベントにしか思えない。」
「人による?」
疑問を連発する冴子に疲れたのか、諒はそこで急に話を途切れさせた。
「用はもう済んだんだろ、帰ろう。時間の浪費だ。」
そして速度をわざと速める。
(…何よ、ムカツク…)
再び諒の背中を見る形になった冴子は、ムッとしつつ慌てて小走りに彼を追った。





女性から、男性に、大切な気持ちを伝える
それは人それぞれの、とても大切で、伝えたいこと――――


それから数日の間、冴子の頭の中ではその言葉がぐるぐると回っていた。





渋谷での買物から、数日たった14日。
「ねえ、これ、あげるわ」
諒の住む、斎伽忍所有のマンションのリビングルームの壁にもたれて座る諒に、冴子は箱入りの包みを差し出した。諒は箱を一瞥し、即答する。
「…いらない」
けれども冴子は諦めずに、繰り返す。
「受け取りなさいよ。せっかく買ってきたんだから」
「女ってこういうふざけたイベントが好きなんだな。とにかく、いらない。迷惑だ」
「それでも受け取ってよ。これはあくまで『ついで』なんだから!」
冷ややか視線が、冴子の瞳を射抜く。
迷惑極まりない、といった表情もまた、彼女を責めたてる。
「まだ何かあるわけ」
詰問する口調。全身で拒否しているのがわかる。
「あるわよ。本命が。」
ここでひるんではいけない、と冴子は言い聞かせる。
この箱の中身はあくまで『ついで』、なんだから、と。
「私は。あなたのこと、ものすごくむかつくわ」
「……」
「いつまでも内向的で、自虐的で、被害者的で。弱いって思う。」
「…それで?」
冷たい声。言われた諒が怒るのは当然だと、思っている。
けれど、伝えたいのはそんなことじゃなくて。
「だけど!…けれど私は貴方に会えて、良かったと思ってる。貴方が此処にいることが嬉しい。馬鹿でも、弱くても、性格悪くたってそれでも私は…貴方に会えて良かった、そう思ってるから。そしてこれからもその気持ちは変わらないから、安心してここにいて。」
途端に、え、という驚きの表情を浮かべる諒に対して叩きつけるように、冴子はチョコレートの箱を押し付ける。
「それだけ。…それが、本命の『伝えたいこと』よ。何でチョコが必要なのかなんてわからないけど、でも、誰かのことを思ってこうしてプレゼントを選ぶのは、初めてよ。あなたにあげることを考えて、そのチョコを選んだわ。だから、受け取って。受け取りなさいよ、貴方には受け取る義務があるって、私が決めたんだから!」
そこまでまくしたて、諒の手が包みをしっかりと受け取るのを見ると、冴子は足場にリビングから出て行った。その顔が普段よりも明らかに赤みを増しているのを、諒は捉える。
「…バカはお前だろうが…」
渡された包みを手の中でしばらく弄んで、それからまたしばらく俯いて。
俯いたまま、人差し指の先で床に文字をなぞった。アリガトウ、の「ト」まで書き、途中でやめる。何をやってるんだ俺は、と毒づきながら、それまでの字を消去るかのように、掌で床をこする。
ふいに、僅かにではあるが暑く感じられた。
涼しさを求めるように諒は一度溜息をつく。
それはエアコンの所為なのか、それとも諒自身の身体の異変の所為なのか。
気づく由もなく、諒は再び箱をじっと見つめた。




fin

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